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2008年06月27日

なんで木?【ナチュラルライフと京都産木材・木造建築のコテラ木材が送るロハス的な日々】

こんちわ。

先日やっと小物入れを納品しました。いやぁ、がんばりました。

喜んでもらってほんとよかったです。鏡をつけてみたりしたんで結構手間を取りましたけど、喜んでもらってる顔を見たら疲れが飛びますね。うん。


で、今日のタイトル「なんで木?」の話です。

京都の木と言えばコテラ木材!と言ってもらえるように日々宣伝してるわけですが、(周りの方にはまだまだ宣伝がたりん!もっと広めろ!と言われてますw)やはりまだまだ国産の木は高い!しかも京都の木はもっと高い!と誰かに植えつけられたイメージをおっしゃる人がいます。
それになんでわざわざやぼったく感じる木を使わなきゃいけないんだ?と言われる方もいらっしゃいます。

店舗とかビルとの非日常空間なら鉄とかガラスとかプラスチックとかの素材を存分に使ってかっこいいとか近未来的な建築やインテリアでいいと思うのですが、住居は違うと思います。

もちろん家だってデザインが良くてカッコいいに越したことはないかもしれません。

しかし、外で仕事して人付き合いに緊張して疲れてる心や体を癒す空間が家でなければいけないと思っています。しかし最近の家は癒しの空間で無くなってしまっていると感じます。だから外へ癒しを求めるようになってるのではないでしょうか?外へ癒されに行かれること自体はなんら問題はないです。
でも自分の家で癒されない家に帰りたいと思う人がどれほどいるのでしょう。一日のうちほんの数時間しかいない人でさえ癒されないのに、それが一日中家で炊事、洗濯、子供の世話に追われている主婦の方たちにとって家にいることがストレスになるには当たり前だと思います。
そしてストレスを感じている親に育てられる子供はそれこそ自分というものを偽り親の前ではよい子でいなければいけない、自分を押し殺してしまう。そしていつか不満が爆発する。そんな子供が育つわけです。

あ、一人で暴走した妄想に入ってしまいました。。。

かなり極端な話を書きましたけど、家庭不和の一つの要因が家で癒されないことであると考えられると思います。

正直な話、形状やサイズ、強度などとても制約の多い素材であると思います。しかし、鉄・ガラス・プラスチックなどに癒されると感じる人は結構少ないのではないでしょうか。

木を売ってるから言うわけでなく木の良さとは巷でもそこかしこで言われている温もりや優しさ香りでの癒しといったことだと思うんです。

なんて曖昧な説明なんだ!もっと的確な説明はないのか?と言われるかもしれませんが、人の感情や感覚ってとてもファジーなものだと思うんです。そのなんとも曖昧な感情や感覚にフィットする素材が木であるからこそ人の心を落ち着かせ癒すことができるんだと思っています。

そんな想いをいだきながら今日もお客様の心を癒せる製品を京都の木で作っています。

自然の素材に癒されると感じるのは人間も自然の作り出したものだからだと思います。DNAが癒されることを知ってるんでしょうね。
posted by コテラ木材 at 16:49| Comment(1) | 木材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本の社会は曖昧さを許さない社会になってきていますね。どれもこれも、ファジーよりも効率性が優先されてしまいます。この現象の発端は、欧米社会が大好きな「善と悪」の構造に影響を受けているからなのでしょう。要するに二極論ですね。白か黒しかない。グレーゾーンは認めませんという価値観が強いと、どうも息苦しいです。

日本人には木を単なる材料とする見方以外に、やや宗教的な見方をする癖がありますね。アニミズムという言葉に代表されますが、日本では大木や岩のたもとに祠を造って、勝手に拝んでしまうところがあります。どうにもこうにも手を合わせてしまいたくなる空間というか雰囲気というか、そういうものを敏感に嗅ぎ取る感覚が、独特の宗教感覚が日本人にはありました。

一昔前までは、木は生活のいたるところで登場しました。薪炭林というのがあったぐらいですから、木はよほど日常生活に欠かせなかったのでしょう。建築に用いるものだけでなく、炊事や風呂焚き、囲炉裏に使う薪や、稲を干すための稲木にも広く使われていました。だから山は大事なもんだと、まるごと神様にしてしまう。神山とかご神木というのは、人々の生活を根底で支える森林や樹木を上手に維持していく一種の仕組みだったのでしょうね。

山に手を入れ、樹を育み使う。このバランスを抜きにして、効率一辺倒にしてしまったから、歪な建物が多くなったのではないかと思います。無機質な製品と同様の単なる工業製品としてしか樹や山を見なくなった。昭和30年頃の大造林では、大変な規模の森林が、木材の製造工場と化してしまいました。また、公害問題も多発した時期でした。しかしそのつけは、色々な問題をはらんで今に現れていますね。

近頃は、不気味な圧力や影に追いやられ、心が不安定になる人が多くなってきていると思います。拠り所のない時間を過ごす中で、何かに癒されたいと思う人もいるでしょう。そんな折、森林の中を散歩した時だけでなく、木の質感や香りや木目に触れると心が安らぐのは、やはり森林大国に住む我々の性なのでしょう。森林率が約7割の日本。豊富な森林と森林文化を有したこの国を、もっと誇りに思ってもいいのではないでしょうか。
Posted by 道楽人 at 2008年07月24日 20:25
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